ホータン・ヨートカン遺跡 ほーたん・よーとかんいせき
ホータン・ヨートカン遺跡
ほーたん・よーとかんいせき
Khotan Yotkan-yizhi
中国・新疆ウィグル自治区ホータン市の市街地の西南11㎞、北緯37度6分、東経79度48分、バガチ郷アイラマン村に位置する。1891年のグルナールの踏査以来、スタイン、黄文弼らの調査を経て、土塼あるいは粘土積み、内部は木材で構成された寺院跡をはじめ、多くの住居跡・建物跡が発見されている。現在は耕作地の下に覆われているが、調査を通じて多くの遺物が出土し、それらの中には貨泉・五銖銭・大暦通宝銭が含まれているが、中でも仏像、ヘレニズム風の意匠を持つ壺が注目される。ホータン地区は、著名な軟玉の産出地であることに加え、南はクンルン山脈を越えて北インドへ通じ、また西方はカシュガル、ヤールカンドを経てイランへ達する要衝の地であるため多くの遺跡の存在が注目される。従来より漢・唐代の于闐国の国都跡に当てられている本遺跡以外にも、ラワーク、ダンダンウィリク、マリカワティなど多くの注目すべき遺跡群が分布している。
まず、ラワーク遺跡は、ホータン市街の西北約25㎞に所在する寺院跡であるが、その外郭は一辺約150mの方形を呈し、内部には直径30m余りの3層の仏塔が残されている。十字形の平面プランは、タキシラのダルマラージカー仏塔にも見られ、その共通性が注目される。また、ホータン市街とニヤ遺跡との間に位置するダンダンウィリク寺院跡が発見されているが、その寺院跡からは1900年にスタインによって著名な「板絵養蚕西漸伝説図」が発見されている。さらにホータン市の南25㎞のユールンカシ河西岸に位置するマリカワティ遺跡も注目される。1950年代には、なお内外二重の城壁が存在していたが、現在は多くの大小の土盛りが残るのみである。これらの土盛りは遺跡の西南部に集中しており、その土盛りの上部や周囲では砂岩製の礎石などが発見されている。また遺跡の北端からは、その内部に前漢代の五銖銭を約45kg入れた甕が発見され、さらにその南には土壁・礎石、焼けて木炭状になった木柱、仏像片・壁画片が発見されたことから、寺院と推測される建築跡が確認されている。近年、于闐国の国都を紅旗郷ハラルバドに求める見解が呈されていることも合わせ、ホータン地区一帯に存する遺跡群の同定も今後の大きな研究課題の一つに挙げることができる。
(高橋学而)
以上、転載
*辞典解説文より漢字ピックアップ
于闐
うてん
