鞠智城跡 きくちじょうあと

鞠智城跡
きくちじょうあと

熊本県山鹿市(旧鹿本郡)菊鹿町米原から菊池市木野にまたがる米原台地(標高168.9m)に築かれた古代山城。1937年(昭和12)坂本経堯の踏査研究などにより米原地区の遺構が鞠智城に比定され、67〜69年(昭和42〜44)にかけて大規模農地改造のため初めて発掘調査が行われた。この調査により外郭線・城門・礎石建物群など城跡遺構の大略が明らかにされた。周長3.6㎞とされるが、外郭線は明確な遺構に乏しい。86年(昭和61)以降、熊本県教委による継続調査が進められた。91年の調査で発見された八角形建物は、日本の古代山城では類例がなく、鼓楼・宗教施設など諸説がある。倉庫建物群の北端ではコ字型に配置された掘立柱建物が検出され、官衙的施設と見られている。97年、城内北側の谷部で貯水池跡が調査され、木簡・建築材が出土している。鞠智城の築城目的は諸説あるが、最近では創建期には大宰府陥落後の控えの拠点、改築期以後は南九州支配の拠点と考えられている。

(向井一雄)

以上、転載

 

 

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