鬼ノ城跡 きのじょうあと

鬼ノ城跡
きのじょうあと

岡山県総社市奥坂の鬼城山山頂付近の古代山城跡。険阻な山容の9合目あたりを、屈折しながらめぐる城壁の全周は2.8㎞、城内面積は約30万㎡に及ぶ。城壁は基礎を石列または石積みによって固めた両面築造法で、幅7m、高さ6~7mばかりの堅固な造りである。そのうち、列石上に版築土塁をのせた神籠石状の工法部分が全体の8割強を占めるとはいえ、城壁最下の内外いずれにも1.5m幅の敷石による犬走が敷設されており、全体としては石城の趣が強い。城門は東西南北の4ヵ所に開き、それぞれに門礎が認められ、うち南門と西門は同巧同大で大規模な3間1戸の楼門と考えられる。とりわけ厳重に築かれた水門石垣は6ヵ所を数え、浸透式のもの2と明渠式のもの4とに分かれる。城郭の南西角には、城壁の外側線から外へ4m雉状に張り出して前縁部13mを測る望楼施設がある。城内奥深くには、礎石総柱建物の城庫が7棟ほど見つかっている。出土遺物は須恵器の坏蓋・壺・平瓶・高台付き直口壺・甕破片多数のほか、円面硯と平瓦や饅頭金具などが知られる。これらは7世紀中葉以降、特にその後半期ごろのものが目立つほか、8世紀初頭のものと後半のものを若干まじえる。創築期はどこまでさかのぼるか諸説がある。

(くず原克人)「くず」=中の(人)が(ヒ)

以上、転載