切支丹墓碑 きりしたんぼひ

切支丹墓碑
きりしたんぼひ

本来は、キリスト教信者を埋葬した墓の墓石のことである。時代的には、大きく16世紀後半期の布教が自由であった頃のものと、その後の禁教政策でひそかに信仰を守り続けた隠れキリシタン時代のものに分けられる。形態では、かまぼこ型・箱型・庵型などがあり、布教自由時代から禁教時代初期の頃までの墓碑には、キリスト教のシンボルマークである十字紋や洗礼名、西暦年号などが刻まれたものがある。なかには仏教様式の板碑、立碑型のものにも同様なシンボルマークが刻まれた例がある。隠れキリシタンの墓碑については、寛政6年(1794)の長崎代官高木作右衛門の報告などに「変形候墓石」として長手の切石を伏せて使用していることが記されている。切支丹墓碑の研究は1911年(明治44)に長崎県島原半島の有家で森豊造が発見し、1926年(大正15)に新村出・濱田耕作によって京都周辺のものが京都帝国大学の考古学報告書で紹介されたことから始まる。その後の墓碑研究は型式分類や文献探索、あるいはヨーロッパでの源流追求などが片岡彌吉によってなされ多くの論考がある。

(下川達彌)

以上、転載