高麗青磁 こうらいせいじ
高麗青磁
こうらいせいじ
朝鮮半島・高麗時代の陶磁器を代表するものとして青磁がある。中国・浙江省の越州窯系の青磁の影響を受けて、韓国・全羅南道康津で生産が開始された。その時期については、10世紀ごろと考えられるが、9世紀前半説から10世紀後半説まで諸説ある。高麗青磁は、大きく第Ⅰ期純青磁、第Ⅱ期象嵌青磁、第Ⅲ期衰退の各時期の変遷が考えられよう。第Ⅰ期の青磁は、釉薬が深く、また、均一に塗られて発色が深く純粋な青磁色を出し、秘色あるいは翡色青磁と呼ばれる。素文のほか陽刻・陰刻のよる唐草・オウム・蓮弁・花などの文様を持つ各種の容器類と、硯滴・香炉・枕などの造形物などがある。象嵌青磁に特徴づけられる第Ⅱ期は、12世紀中ごろからの1世紀間にわたる。もともと金属器に施された象嵌が陶磁器に応用されたといわれる。雲鶴・楊柳・宝相華・菊花・唐草・ザクロなどの象嵌文様で飾られた碗・梅瓶・瓶などの各種の器形が知られる。
第Ⅲ期は、14世紀中ごろから14世紀半ばにわたる衰退期に当たる。その初期には蒙古の侵入で国土が疲弊し、国力が衰えを見せ始めたことから、高麗青磁は衰退した。象嵌文様は散漫な構図と粗雑な筆致となり、また同一文様の反復が多くなり、やがて李朝(朝鮮)時代初期の粉青沙器へと移行する。器種においても梅瓶が減少し、小型の皿類が多くなる。また、鉄砂などを使う鉄絵青磁も多く製作された。絵は、梅瓶や瓶などの釉裏と釉表に描く2種類がある。前者の場合、鉄砂・辰砂あるいは白土・黒土で胎土の土に文様を描き、その上に釉薬をかけている。この技法は、宋・元の修武窯や磁州窯の影響を受けて形成されたものである。鉄絵青磁の初期のものには、折枝文のような絵画的なものを1、2ヵ所描いて空間を多く残すが、しだいに唐草などの草花文などが、器表全面に描かれるようになる。高麗青磁は、貿易陶磁として中世の日本列島にわずかながら輸入された。
(西谷正)
以上、転載
