湖州鏡 こしゅうきょう
湖州鏡
こしゅうきょう
中国宋代には、浙江省の諸州で鏡が盛んに鋳造された。それらの鏡背面には鋳造した地名や家名を陽鋳しているのが一つの特徴である。その中の一つに浙江省湖州の地名を銘文に持つ「湖州云々」という一群の鏡があり、湖州鏡と呼ばれている。鋳造家名には「湖州方家」もあるが、「湖州石家」を入れた短文を長方形の枠内に収めている例がもっとも多い。鏡の外側には花文形・円形・方形などがあって多様であるが、かまぼこ型の縁と小さな鈕、そして、鈕の横に「湖州云々」の銘文を持つだけで、ほかに文様がないのが一般的で、装飾性に乏しい鏡である。ただ、銘文のほかに飛雲・蜻蛉・蝶を配置した例もある。湖州鏡は日宋貿易でわが国に輸入され、西日本を中心に平安から鎌倉時代の経塚や墳墓出土例に多く見られるが、神社への奉納鏡もある。なかでも六花文形のものは九州に圧倒的に多く、東日本ではほとんど見られない。また、江戸時代に北九州市足立山で出土した湖州鏡の1面には「承安四年(1174)二月三十日」の針書きがあって、年代の一点を知ることができる。
(藤丸詔八郎)
以上、転載
