鞍形磨臼 くらがたすりうす
鞍形磨臼
くらがたすりうす
食用の穀物そのほかの物質を破砕もしくは磨りつぶして粉にするための道具として、石臼 stone mortar, 石皿 stone quern, stone grinding-stab が一般的に認められる。これらの石器はいわば下石であって、それぞれ石杵 stone pestle, 磨石 polish stone, hand-stone などと組み合わせて使われる。そのうち、板状の石皿を下石とし、その上に棒状の磨石を上石として置き、それを両手で持って前後に体重をかけて使用された結果、独特の形態を示すことになったものは、特に鞍形磨臼 saddle quern とか、磨臼・馬鞍形石皿・鞍形石皿などと呼ばれる。独特の形態というのは、そのような呼称が物語るように、まず、下石は前後が高く盛り上がって真ん中がくぼむ。そして、上石は下石に直交して使われたため、棒状の下面が磨り減って両端に突起部が残ることになることがしばしば見られる。
穀物の加工処理用具つまり調理具としての石臼は、西アジアでは旧石器時代終末期から増加する。そして特徴は、縦型石臼・石杵である。それに対して、鞍形磨臼も含めて横型石臼・磨石が登場するのは新石器時代に入ってからのことである。つまり、鞍形磨臼は一般に、西アジアで初期新石器時代に始まり、ヨーロッパ・北アフリカをはじめ、世界各地に拡散したといわれる。また、たとえばメソポタミアのジャルモ遺跡では、小麦や大麦が伴出していて、穀物栽培に伴う粉食と深い関わりを持つ石器といえよう。もっとも鞍形磨臼は、民族例によると、野生の植物性ならびに動物性の食料の調理具としても使われている。
日本では、大分県豊後大野市(旧大野郡)緒方町の大石遺跡で見るように、九州の縄文時代晩期前半に、上石と下石としてセットになりうる。石棒と石皿が検出されていて、鞍形磨臼の変容型式である可能性がある。朝鮮半島では、櫛目文土器(新石器)時代に特徴的な石器の一つとして、典型的な鞍形磨臼が知られ、部分的には無文土器(青銅器)時代まで遺存する。たとえば、櫛目文土器時代のおそくとも後半期には、北西部の大同江流域に当たるピョンヤン特別市三石区域の湖南里南京遺跡で見るように、竪穴住居跡の内部で鞍形磨臼12対と、約1升といわれる多量の炭化したアワが伴出した。このように朝鮮では、鞍形磨臼はアワのほか、キビ・モロコシなどの雑穀の脱穀・製粉用調理具として、原始農耕と関連する石器といえよう。さらに、中国大陸では東北地方から内蒙古を経て、新疆ウィグル自治区にかけて、鞍形磨臼は広く分布する。そこでは、アワ・キビに加えてムギの調理具として使われたことがうかがわれる。一方、黄河流域では、有足の鞍形磨臼が見られ、しかも磁山・裴里崗文化といった新石器時代初期の文化から出現する。
(西谷正)
以上、転載
