麦積山石窟 ばくせきさんせっくつ

麦積山石窟
ばくせきさんせっくつ
Maijishan-shiku

中国・甘粛省天水市の東南約45㎞にある石窟寺院群。秦嶺山脈の西端に、高さ142mの山があり、その姿が農家の麦積に似るところから命名されたらしい。開元22年(734)に地震のために崖の中央部分が損壊し、現在は東の懸崖に54窟、西の懸崖に140窟が残っている。郷土史家の馮国端、考古学者の閻文儒、美術史家の李浴などが訪ねた後、1952年に常書鴻を団長とする調査団が、続いて53年に吾作人を団長とする調査団が訪れ、調査した。日本人では、写真家の名取洋之助が初めて訪ねた。

開鑿は後秦時代、384年から417年頃に始まったと考えられ、梁の慧晈の『高僧伝』巻11、「釈玄高」によれば、420年ころに玄高が100余人の学徒を連れ、ここに隠居して禅観を修行していたという。もっとも古い銘記は第115窟にあり、北魏の景明3年(502)に張元伯が石窟を造った旨が墨書されている。それ以後、清代まで石窟の造営が続いた。石質は紅砂岩である。塑像は3513駆、龕像や千仏を含めた石彫像は3662駆を数える。塑像は芸術性に優れ、当初の姿をよく留めているので、高く評価されている。古い壁画も少なくない。概観すれば、西崖に北魏・西魏・北周の窟が多く、東崖に宋・元・明に補修された窟が多い。

(中野照男)

以上、転載