ミーラン(米蘭)遺跡 みーらんいせき

ミーラン(米蘭)遺跡
みーらんいせき
Miran-yizhi

中国・新疆ウィグル自治区若羌県の東北約75㎞、タリム盆地東南端に所在する。東西約7㎞、南北約5㎞の広い範囲に城砦・住居跡・仏塔跡・烽燧跡・冶金精錬工房跡などが分布している。遺跡は、早くスタインの調査を受けたほか、1959・73・78年には新疆ウィグル自治区博物館によって調査が行われた。広大な範囲に散布する遺物の中には、五銖銭や開元通宝銭も含まれており、遺跡の時期がおおよそ漢代から唐代にわたることを示している。

城砦は東西約70m、南北約60mの不規則な方形を呈している。城壁は版築で築かれているが、その上部には塼を積み上げている。また版築層の中に紅柳など灌木の枝を敷き詰め、いまなお高さは6mから13mを測る。西壁に城門が確認されるほか、四隅には角楼が設けられ、また北壁や東壁には雉(馬面)が築かれている。城砦は、東壁の版築層内に灰色布紋筒瓦片が検出されたことなどから、3次にわたって改修、増築されたことが推測されている。調査を通じてミーランが漢代にあっては伊循城が所在し、また城砦内から大量に出土したチベット文字文書などから、8〜9世紀の唐代における吐蕃の軍事拠点の一つである小納付城が位置したとする理解がなされている。城砦付近には多くの寺院跡あるいは仏塔跡があるが、1907年にスタインによって発掘された著名な有翼天使像・シュダナ太子の本生故事の壁画などを含め、近年の調査でもガンダーラ、ヘレニズム様式の西域への伝播が改めて注目されている。

(高橋学而)

以上、転載