弥勒寺跡 みろくじあと
弥勒寺跡
みろくじあと
Mireuksa-ji
韓国・全羅北道益山市金馬面箕陽里の弥勒山南側に位置する三国時代百済最大の寺院跡。『三国遺事』では、武王とその王妃が師子寺へ行く途中、龍華山下の池の中から弥勒三尊が現れたので、その池を埋めて、その上に殿・塔・廊廡を各々3ヵ所に創建したと記す。寺域には百済時代の西塔と統一新羅時代の幢竿支柱が現存する。国立文化財研究所の約17年間にわたる発掘調査によって、西石塔と対称する位置に東石塔跡、その間の中央に木塔跡、さらに三つの塔の背後には金堂跡が3棟、そしてそれぞれの塔と、金堂を取り囲む回廊跡が検出された。そのほかに講堂跡・僧房跡・水路・蓮池跡なども検出された。出土遺物では、軒丸瓦・軒平瓦・緑釉垂木先瓦などの瓦類をはじめ、金銅如来立像・金銅交脚板仏・塑像片・建築部材や、中国唐の越州窯系青磁・定窯系白磁・元の青華白磁のほか高麗青磁・李朝(朝鮮)白磁などが出土した。弥勒寺は李朝時代中期、文禄の役(壬辰倭乱)の前後に廃寺となった。
(李タウン)
以上、転載
