木俑 もくよう
木俑
もくよう
中国で死者とともに埋葬するために作られた明器のうち、人物や動物をかたどったものを俑と呼ぶが、そのなかでも特に木製のものを指す。木俑は木材で主要部分を作る場合がほとんどであるが、なかには骨格となる木組だけ、あるいは頭部のみを木材で作り、衣を着せたり、面部を泥製としたものもある。大きさは等身大以上の作例もあるが、小・中型のものが中心である。また、こけし風のごく簡単なものから、彩色を施して別製の着衣をつけた丁寧な仕上げのものまで、つくりに精粗の差も見られる。
木俑は腐朽しやすい材質のため遺例が限られていたが、近年の発掘調査の進展により、木俑の出土例が増加するとともに、製作年代の上限もさかのぼる傾向にある。新疆ウイグル自治区ハミ市出土の男女俑は、木製頭部と着衣だけからなる簡単な作りで、西周時代にさかのぼると考えられている。戦国時代には、湖南省長沙市出土の彩色男女俑や奏楽俑、河南省信陽県出土の漆彩色男女俑など出土例が増加する。いずれも細部まで木材から彫り出し彩色を施したもので、官人や侍女、奏楽人など様々なタイプが存在する。殉葬者の代わりという俑の目的と合わせて、墓主の生前の生活を再現しようとする考えもうかがうことができる。前漢時代には、厚葬の風潮の広まりとともに、木俑の出土例はさらに増加する。長沙馬王堆1号墓からは戦国時代以来の伝統をひく彩色の男女俑のほかに、羅や紗などの衣をつけた精緻な作りの男女俑が出土しており注目される。後漢時代以降、陶俑が主流となり木俑の出土が減少するが、唐時代には三彩や加彩の陶俑に加えて木俑の出土例も再び増加する。新疆ウイグル自治区アスターナ古墳出土の彩色男女俑は、いきいきとした顔貌表現が特徴的で、造形的にもきわめて写実的な作品となっている。木俑を副葬する習慣はその後も続き、なかでも明時代の山東省朱檀墓出土の儀仗木俑群像は作りも細やかで秀作である。
(八波浩一)
以上、転載
