夢村土城 むそんどじょう
夢村土城
むそんどじょう
Mongchontoseong
韓国・ソウル特別市松坡区芳荑洞に位置し、漢江南岸の低丘陵(標高約45m)上に築かれた三国時代百済漢城期(?〜475年)の王城の一つ。1983〜89年にかけてソウル大学校を中心に発掘調査され、現在はオリンピック公園の一部として整備されている。外郭線は版築をしない土塁であり、柵列も一部確認されている。東・北・西側には自然の河川などを利用したと考えられる垓字(濠)がある。城周は約2.3㎞である。北・東・南の3ヵ所で門跡が確認されている。
城内には
(中略)遺物は貴重なものとしては、楽浪瓦や高句麗瓦の系譜をひく瓦、中国西晋の銭文陶、東晋の青磁、東晋系?の金銅製帯金具、骨製の札甲などがまず挙げられる。
(中略)城の時期はこれらの遺物から、3世紀後半から475年の漢城陥落まで続いたと考えられている。周辺の百済時代の遺跡との位置関係では、漢城時代の王城の一つと考えられている風納土城が北北西約1㎞にあり、475年の漢城陥落時の南城が夢村土城で、北城が風納土城と考えられている。また王陵群と考えられている石村洞古墳群は南西約2㎞にある。
(亀田修一)
以上、抜粋転載
オリンピック公園の一角ですが、広大な土城がぐるりと残っているのは感動します。百済を詳しく知ることができる漢城百済博物館と隣接しています。
城内では発掘調査が進んでおり、道路遺構が出たとのニュースも数年前にありました。門の外までのびて風納土城へ繋がっていたのではないかとか、統一新羅時代まで何層かに道路が築かれており車輪や人・馬の足跡も残っていたなど、生き生きと暮らす人々が目に浮かぶようです。
漢江の北側は朝鮮王朝時代の王宮が多く残り、漢江の南側は夢村土城・風納土城・石村洞古墳群などが残る古代の都。
ソウルは奥が深いです。
