明活山城跡 めいかつさんじょうあと
明活山城跡
めいかつさんじょうあと
Myeonghwalsanseong-ji
韓国・慶尚北道慶州市の千軍洞から普門洞にわたって位置する、新羅の故都。慶州盆地の東の守りとして築かれた割石積みの山城跡。この山城の北麓の道を東方へ抜けると、東海(日本海)に出るので、東方からの倭軍の侵入に備えたものと推察される。ちなみに『三国史記』新羅本紀では、実聖王4年(405)に倭兵が明活城に攻め込んだと記載する。城壁はほとんど崩壊しているが、かつては外面を割石で6.5m前後以上の高さに築き上げた形跡をとどめる所が随所で見られた。山城内のやや平坦になった所には、建造物があったようである。
(西谷正)
以上、転載
山城跡へのアプローチ入り口に解説板があり、その近くに口を開けている水門は規模の大きさに驚きます。少しだけ尾根を登ると、遠く慶州盆地に広がる都を一望でき、眼下を海へと抜ける道が横切っています。まさに防衛ラインの1つだったと肌で感じることができます。当時の人と同じ風景を見ているのだと思うと鳥肌がたちます。
それにしても、慶州は本当に美しい。
