陵山里古墳群 りょうざんりこふんぐん

陵山里古墳群
りょうざんりこふんぐん
Neungsan-ri-gobungun

韓国・忠清南道扶余郡扶余邑陵山里にある三国時代百済の古墳群。当時の王都である泗沘(現在の扶余)の故地から東方へ3㎞余りの羅城外にあって、6世紀後半から7世紀前半にかけて築造され、当時の王陵が含まれると推定されている。伝王陵群とその東方に少し離れて東古墳群があり、さらにその東方にも塼敷や割石積みの石室墳の一群がある。6基からなる伝王陵群は、1915年(大正4)と17年に朝鮮総督府によって発掘調査された。いずれも円形の墳丘を持ち、裾部に切石または割石の外護列石を持つものが多い。内部主体は、南面の横穴式石室で、よく研磨された扁平な花崗岩の石材で構築されている。そのうち東下塚には、四神・蓮花文・雲文などの壁画を描く。いずれも古く盗掘を受けていて、木棺の棺材、飾鋲・銅釘・鉄釘・冠の金銅透彫金具など、わずかな遺物しか出土していない。東古墳群は、そのうち5基が1937年(昭和12)に朝鮮古蹟研究会によって発掘調査されたが、ともに伝王陵群と類似した構造の横穴式石室が扁平な花崗岩で構築されている。内部は盗掘によって荒らされていて、鉄釘・鉄楔・鉄地金銅張飾鋲・座金具などの木棺金具と、飾玉・金糸など、わずかな遺物しか遺存しなかった。

(西谷正)

以上、転載

 

緑の芝生が広がるのどかな伝王陵群の史跡公園に、きれいな円墳がぽこぽこと6基。石室内部や一帯の古墳群については、展示館にて詳しく。

壁画古墳は復元石室があり、復元でも十分すぎるほど、四神や蓮花文の美しさに感動します。天井の蓮花文など、昔のものと思えないモダンなデザイン。いえ、逆に現代の私たちは、創造性などが磨耗しているかもしれないと、壁画古墳を見ると思えてしまいます。

これとよく似た壁画が、慶尚南道高霊の古衙洞古墳にあります。

加耶地域で唯一の壁画古墳。新羅とせめぎ合う地域で、百済とそっくりな壁画古墳とは、どんな人がどんな人生を送ったのか、想像すると胸が締め付けられるようです。

 

壁画古墳〔朝鮮〕は こちら