オケオ遺跡 おけおいせき

オケオ遺跡
おけおいせき
Oc Eo site

ベトナム・南部アンザン省トアイソン県に位置するオケオ文化の標準遺跡。オケオ文化は中国史書に登場する初期の国家「扶南」の文化とされる。メコン川の一支流ハウ川(バサック川)とシャム湾の間に広がる沖積平野には運河が縦横に走り、ところどころに山丘が横たわっているが、このうちバテ山(標高221m)の東から東南の麓にオケオ遺跡が立地する。1944年にフランス極東学院の考古学者マルレーがメコンデルタ地域で考古学調査を実施した。その報告によれば、オケオ遺跡は長さ3㎞、幅1.5㎞の方形で、四重の土塁と五重の濠がめぐらされている。現在ではその土塁と濠を地上で確認することはできない。扶南はAD1世紀ごろメコンデルタ地域に興った国で、タイ湾沿岸やマレー半島東岸・西岸の港市を支配下におき、東西海上交易の利によって繁栄したが、AD7世紀には衰退した。オケオ遺跡は扶南の外港であり、内陸部の拠点であったカンボジアのアンコールボレイ遺跡とは運河網で結ばれていた。オケオ遺跡で発掘された遺跡としては、レンガや花崗岩を利用した建築遺構と、木柱が残る杭上住居跡がある。遺物はローマ貨幣形の金メダル2点(原型のローマ貨幣はAD2世紀中葉)、オケオ・コインと呼ばれる大小の銀貨、青銅製・錫製の印刻、サンスクリット語が記された錫小板、ブラフミー文字の印章をつけた指輪、貴石製・ガラス製ビーズ、耳飾やメダルのための砂岩製鋳型、仏像、ヒンドゥー教の神像、リンガやヨニなど、西方とのつながりを示す遺物が豊富である。一方で後漢の夔鳳鏡(AD2世紀)と方格規矩鏡の破片も出土している。1996年からフランス極東学院と、ホーチミン市社会科学院が共同で発掘調査を継続している。

(山形眞理子)

以上、転載

 

 

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キ、ギ