玉田古墳群 ぎょくでんこふんぐん
玉田古墳群
ぎょくでんこふんぐん
Okjeon-gobungun
韓国・慶尚南道陜川郡双冊面城山里に所在する三国時代の古墳群。洛東江支流の黄江北岸の丘陵上に分布する。墳丘を持つ高塚古墳が25基確認されている。慶尚大学校博物館が1985〜91年まで5次にわたって調査を行い、高塚古墳9基、木槨墓60基、竪穴式石室・石槨墓42基、計111基を発掘した。調査した高塚古墳の内部主体は、竪穴式石室7、横口式石室1、横穴式石室1である。内部主体は木槨→竪穴式石室・石槨→横口式石室→横穴式石室と変遷していく。木槨墓は4世紀前半から5世紀末まで造られ、5世紀前半には長さ7.2m、幅4.6mの大型木槨墓23号墳が造られた。23号墳からは多量の土器とともに、金銅製の冠帽・冑・馬具、馬冑が出土し、首長墓と考えられる。竪穴式石室・石槨墓は5世紀後半から出現し、同時に墳丘の築造、隔壁による主副室・槨の分離、殉葬が行われ始めた。5世紀中葉のM1号墳からローマングラス、甲冑・馬冑を初めとした馬具類が出土し、陶質土器には昌寧系もある。周囲には6基の竪穴式石槨があり、これらは殉葬墓である。5世紀後葉のM3号墳は径20mの円墳で、竪穴式石室は隔壁を有する長さ10m、幅2.7mの長大なものである。馬冑・龍鳳文環頭大刀2・単龍文1・単鳳文1などが出土し、陶質土器は高霊系である。6世紀前葉の竪穴式石室・石槨は、副葬品とともに構造も高霊地域の影響を強く受けていて、大加耶連盟との紐帯が最も強かった時期である。
6世紀中葉になると、M6号墳から「出」字形金銅冠が出土しており、陶質土器も高霊系と新羅系が出土する。M10号墳は横口式石室で、この墓制は新羅で発生したもので6世紀中葉とされる。M11号墳は横穴式石室で、百済系の墓制とされ6世紀後半である。玉田古墳群は『日本書紀』に見られる加耶諸国のうちの多羅国と考えられ、4世紀から6世紀にかけての首長墓の変遷を知る上で重要であるばかりでなく、加耶諸国での小国のあり方、新羅・百済・高句麗、倭、中国との対外関係を究明する上でも重要な古墳群である。
(定森秀夫)
以上、転載
