風納土城 ふうのうどじょう
風納土城
ふうのうどじょう
Pungnap-toseong
韓国・ソウル特別市松坡区風納洞に位置し、漢江左(東)岸に立地する土城。早くから、三国時代百済初期の都邑もしくは国都としての河南慰礼城や漢山城をここに当てる説があった。また、帯方郡をソウル付近に比定しようとするとき、ここがその郡衙の有力候補地となってきた。漢江の洪水によって土塁は西壁の大部分が消失している。土城は南北に長い長方形状を呈し、南北約1.5㎞、東西約0.3㎞、総延長推定約3.5㎞を測り、朝鮮半島で最大規模を誇る。土塁は2段築成で、基底部幅は約30m、高さは5mを超える。
(中略)このような数次にわたる発掘調査の結果、まず土塁に関しては、築造技術において敷粗朶技法が見られたことや、遅くとも3世紀前後に築造が完了していることが明らかにされた。ついで土塁内部では、最下層に原三国(三韓)時代つまりBC1世紀ごろからAD3世紀中ごろにかけての、三重環濠と竪穴住居跡などが検出された。
(中略)出土遺物には、各種多数の百済土器のほか鉄器・紡錘車・漁網錘などがある。とりわけ百済初期の瓦塼や、中国南朝の西晋から東晋にかけての陶磁器の出土は、それぞれ百済初期の建築史や対外交流史を考える上で重要なものである。ちなみに、最近の調査では、帯方郡治跡に関連性のある遺構や遺物は、まったく見つからなかった。
(西谷正)
以上、抜粋転載
漢江に沿って細長く伸びた独特の形の城は、ひと目見ると忘れられません。もちろん目視は無理。近くの漢城百済博物館の大きなジオラマをぜひご覧ください。形状や城壁内部がよくわかります。
そして土塁の剥ぎ取りも。館に入った途端、ロビーに広がる圧倒するような壁面が、まさか本物の土塁剥ぎ取り断面とは!版築もよくわかります。
現地で目視が無理なのは大きさのせいだけでなく、土城のほとんどのエリアにびっしりと高層住宅が建っているからです。百済の故地、公州・扶余・益山が世界遺産になりましたが、すでに大都会の漢城時代が加わることはとても難しいことなのでしょうね。
それでも、広大な土塁の一角が残っており、その上を歩けます。
漢江を挟んだ対岸の山頂は、高句麗群が対百済の陣を張ったところで、あちらからこの風納土城を見下ろすこともできます。
大都会ソウルに残る、古代です。
