李朝白磁 りちょうはくじ

李朝白磁
りちょうはくじ

朝鮮半島の李朝(朝鮮)時代(1392〜1910年)に焼造された白磁で、李朝時代の陶磁器の主体をなすもの。「朝鮮白磁」ともいう。1460〜70年代に、京畿道広州に官窯が設置され、本格的に白磁生産が始まった。主窯では匣鉢に入れられた白磁や青花が焼かれ、従属窯では匣鉢を使用しない白磁や、竹節高台をなす粗質白磁が主体であった。16世紀には地方窯も粉青沙器から白磁へと移行した。17世紀前半には度重なる戦乱のため、官窯でもやや質の劣る灰白色の白磁が焼造され、中国との関係悪化によるコバルト顔料の不足から青花の代わりに鉄砂が流行した。17世紀後半には、地方窯で粗質白磁や鉄砂が隆盛する。17世紀の従属窯や地方窯の白磁は粗い砂をあて、内湾高台や碁ヶ底をなす。18世紀前半には金沙里窯で、直立高台をなす乳白色の上質白磁が再び焼かれはじめ、青花も復活した。一部の地方窯では辰砂も焼かれた。18世紀後半には分院里に官窯が固定され、高台裏面を深く削る雪白色の白磁が主流となる。施文も青花・鉄砂・辰砂など多様化した。19世紀には青白色の白磁が主流となり、器種も豊富となるが、19世紀末には日本からの輸入品などによってその生産が低下した。

(片山まび)

以上、転載