緑釉陶器 りょくゆうとうき
緑釉陶器
りょくゆうとうき
鉛を溶媒剤とし、700〜800°Cの低火度で焼成する鉛釉陶は、紀元前後のほぼ同時期に洋の東西、ローマ領の地域と中国の後漢で出現する。出現の経緯やその影響関係の有無などについては明確ではないが、中国では酸化鉄を呈色剤とする緑釉があり、陝西省関中地区で最初に現れる。褐釉が緑釉に先行して前漢時代の中期頃に現れ、緑釉の出現はやや遅れて前漢時代後期と考えられている。後漢時代になると生産地も拡大するが、緑釉の全盛の陰に没して褐釉はあまり見られなくなる。容器の器形は銅器や漆器の写しが目立ち、釉は外から見えるところだけに掛けられ、主に副葬明器として製作されたと考えられている。ほかにも顕著な明器として、井戸や屋社、竈や動物の俑などがある。河南省や陝西省などを中心とした中原地方に厚く分布し、長安や洛陽などの官営の工場などで作られたと考えられている。漢代の鉛釉陶は明器として終始し、実用の焼物としての発展を示さないまま衰退していくが、その影響は楽浪郡や高句麗の緑釉に及ぶ。一旦、衰えた緑釉は、南北朝末期頃に再び盛んになり、隋代に発展した白磁と融合して唐三彩へと展開していく。
(上田秀夫)
以上、転載
