石帯 せきたい

石帯
せきたい

日本古代の律令体制下にあって、官人は官職・位階、そして、それに伴い衣服が規定されていた。そのことを検証する考古資料のうち、遺物としては銙帯と石帯という二つの革帯がある。これら二つの革帯には、それぞれ青銅製の銙と玉・石製の石銙が取り付けられた。これらは一般に、銙帯・石帯と呼ばれる。石帯は、青銅製の銙具と玉・石製の巡方・丸鞆、そして、玉・石製もしくは青銅製の鉈尾などから構成される。石帯には、革帯に取り付けるため、裏面に糸を通す孔が開けられている。『日本後紀』弘仁元年(810)9月の条によると、延暦15年(796)に隆平永宝の鋳銭を支えるため銙帯を禁じており、それ以後は代わって白玉や雑石が用いられたようである。ところが、大同2年(807)から弘仁元年までの3年間に雑石だけは禁断された。つまり、弘仁元年に至って銙帯の代わりに雑石も使用することが確立された。このように、石帯は銙帯に代わって平安時代に主として使われたが、年代が新しい出土例としては、島根県・渡来浜遺跡の火葬墓の出土品のように、鎌倉ないし室町時代のものがある。

(西谷正)

以上、転載

 

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