石村洞古墳群 せきそんどうこふんぐん
石村洞古墳群
せきそんどうこふんぐん
Seokchon-dong-gobungun
韓国・ソウル特別市松坡区石村洞に所在する三国時代百済前期の古墳群。植民地時代の分布調査では、封土墳である「土塚」が23基、積石塚である「石塚」66基を確認した。市街地化により多くの古墳が破壊され、1974・83・84・86・87年に、ソウル 大学校博物館を中心に発掘調査した。1〜4号墳は、平面方形で外面を階段状に仕上げる積石塚である。3号墳のように墳丘全体を石で築造する例と、2・4号墳のように盛土の外側に石を積んだ例が存在した。3号墳の墳丘は長さ50.8×48.4mと大きく、近肖古王陵に比定する説がある。3号墳の周辺からは、金製歩揺や青磁盤口壺片などが出土した。5号墳・石村洞破壊墳・3号墳東側葺石封土墳は、墳丘の外表面に石が葺かれており、可楽洞2号墳のように、墳丘内に複数の埋葬施設が存在すると想定されるが詳細は不明である。3号墳の東側では、墳丘を持たない土壙墓・甕棺墓群を確認した。なかでも長10m、幅2.6〜3.2mの土壙内に8基の木棺を安置した大型土壙墓は特異である。その他の土壙墓も木棺を納めたと考えられるものが多い。副葬品としては、肩部に斜格子文帯を持つ直口短頸壺・広口長頸壺・平底広口鉢などを中心とする土器類、鉄鎌・鍛造鉄斧・凹字形鍬鋤先・鉄矛などの鉄製農工具、武器類がある。8号土壙墓からは青磁四耳壺が出土した。百済漢城期の王城と推定されている夢村土城・風納土城に近接しており、漢城期における王族を中心とする百済中央勢力の古墳群であると考えられる。
(吉井秀夫)
以上、転載
