石帳里遺跡 せきちょうりいせき
石帳里遺跡
せきちょうりいせき
Seokjang-ri-yujeok
韓国・忠清北道鎮川郡徳山面石帳里にある三国時代百済の鉄・鉄器生産遺跡。低丘陵の緩斜面上に展開し、1994年度以降、3次にわたる発掘調査が実施された。1次調査区(A区)と2次調査区(B区)とは南北に約20m離れており、出土した土器からA区が3〜4世紀、B区が4世紀末〜5世紀という年代が考えられている。A区では16基の炉が検出され、製鉄炉5基(1・2・4-1・9・10号)、製鉄炉あるいは精錬炉1基(4-2号)、製鉄炉あるいは溶解炉1基(5号)、溶解炉1基(6号)以外は炉の性格は不明である。4号炉は一辺が開放した長さ640㎝、幅600㎝の方形土坑内に細長い長方形箱形炉(4-1号炉)と長方形箱形炉(4-2号炉)が併置されている。前者は炉内の長さ250㎝、幅50㎝で、内部に木炭が充満している。炉の一方の小口部には粘土で築かれた土手が弧状に2列敷設されており、炉鉄あるいは鉄滓を流したものと思われる。後者は長さ110㎝、幅50㎝程度であり、炉内には木炭が充満していた。このほかの製鉄炉も方形が基調である。溶解炉(6号炉)はその構造が不明であるが、炉壁材とともに鉄斧鋳造用の内笵を10余点が出土し、鋳造炉と考えられる。遺物は鉄鉱石・砂鉄・鉄滓(流出滓)、大・小型送風管、鋳型(内笵)・炉壁のほか、鋳造斧・刀子・鎌・鉄鋌などの鉄製品、土器・石灰岩・獣骨・貝殻が出土している。B区では21基の炉が知られるが、A区同様、その構造と性格に不明な例が多い。円筒型製鉄炉(3号)のほか、鉄滓・鋳造剥片・木炭などを伴う鍛冶炉(21号炉)も存在する。
以上の製鉄炉では、砂鉄の使用も想定されたが、遺物の冶金分析では鉄鉱石の精錬しか認められていない。製鉄から鉄器生産にいたる工程が明確にされた三国時代初期の遺跡として、慶州市隍城洞遺跡とともに重要な遺跡である。
(村上恭通)
以上、転載
*mapは鎮川郡石帳里
