城山山城 しろやまさんじょう

城山山城
しろやまさんじょう
Seongsan-sanseong

韓国・慶尚南道咸安郡伽耶邑の中心部から南約2㎞に位置し、広井里の鳥南山(別名城山、標高139m)の山頂部に築かれた山城。1991年から現在に至るまで、国立昌原文化財研究所によって発掘調査が断続的に継続されている。板石や方形の塊石を積み上げた石築の山城で、城周約1400mである。城壁にはきれいな基壇補築が確認できる。門は東門と南門が確認されており、東門の内側に築かれた貯水施設において116点(2004年時点で韓国最多)の木簡が出土している。その内容は「及伐城」「甘文城」「阿卜智村」などの地名、「居利支」「阿那休智」などの人名、「稗」「麥(麦)」などの穀物名など多様なものであり、洛東江上流域の尚州などからこの城にもたらされた物品の荷札木簡と考えられている。木簡の時期は6世紀第3四半期頃と考えられている。三国時代新羅から李朝(朝鮮)時代の瓦や土器・鉄器・動植物遺体なども出土しており、この地域の拠点的な城として継続的に使用されたことがわかる。また『日本書紀』欽明天皇22年(561)条の新羅が日本に備えて築いた「阿羅波斯山」の城に該当するという考えも出されている。

(亀田修一)

以上、転載