シャイガ山城 しゃいがさんじょう

シャイガ山城
しゃいがさんじょう
Shaigasite

ロシア・沿海州南部のパルチザン区、スーチャン河流域のセルゲイエフカ村南方に所在する金代の山城。早く19世紀には、鉱山技師イワノフによって発見されていたが、旧ソ連科学アカデミー極東諸民族歴史・考古・民族研究所シャイガ隊によって1963年から正式に発掘調査が始まり、93年までに300軒の住居跡が検出された。未発掘のものも含め住居跡の総数は1000軒を数え、人口も1万人を超えると推定されている。城壁は土築で、尾根を利用して西南部に谷を包み込む。その外周は3600m、麓下との比高は100mである。城壁には数ヵ所に城門跡と推測される切断部が見られるが、そのうち少なくとも北面の1基では甕城が確認されている。沿海州地区では連年にわたり調査が継続した数少ない事例ということもあり、金属精錬にかかわる各種の遺物、女真文字を記す銀牌、あるいは分銅、将棋の駒などさまざまな興味深い遺物が出土している。それら遺物の大半は、谷間の緩斜面に設けられた階段上のテラスに構築された多くの建築跡から発見されたが、それら建築跡にはオンドルの設備を持つ住居跡以外に、一辺24mの方形プランを有する堡塁跡、冶金工房を含む多くの工房跡が発掘されている。

スーチャン河流域には、シャイガ山城以外にニコラエフカ古城、さらにはエカテリノフカ山城が所在する。スーチャン河流域一帯を未だ定論を得ていない金代耶懶路に当てる見解も示され、同山城の調査は金代の歴史地理研究の上でも大きな意味をなしている。

(高橋学而)

以上、転載