清水山城跡 しみずやまじょうあと

清水山城跡
しみずやまじょうあと

長崎県対馬市厳原町厳原西里に所在し、文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱〔1592〜98〕)における豊臣秀吉軍の渡海中継拠点の一つとして整備された山城跡。対馬島主宗氏の居所・金石城(館)の裏山(標高209m)に位置する。主郭がある頂上部から南東方向に延びる尾根地形に沿って、三つの曲輪を分立配置し、相互間を石塁でつないだ直線的な「縄張」を呈す(総延長約500m)。ほぼ総石垣造の城で、江戸時代以降の改修痕跡もあるが、二の丸や三の丸には豊臣系城郭の時代的特徴を顕著に示す石垣や、「内桝形」虎口などが残っている。

(宮武正登)

以上、転載