庄内式土器 しょうないしきどき
庄内式土器
しょうないしきどき
庄内式とは、弥生土器に後続し、布留式に先行する土器様式で、大阪府豊中市庄内遺跡にちなんだ呼称である。
庄内式に属する一群の土器を庄内式土器と呼び、その時期は3世紀初頭から後半までのおよそ数十年間である。装飾性のある壺、二重口縁壺・庄内式甕・高坏・小型器台・小型丸底土器などの器種がある。土師器の壺・甕などの丸底形態は、基本的に庄内式のなかで獲得された形質である。集落内の実態としては、純粋に庄内式土器だけで構成されることはほとんどなく、弥生系の土器群と共存する。また庄内式の受容が遅れたり、ほとんど受け入れない地域もある。庄内式土器は近畿地方で出現するが、その成立には吉備地方における土器の技法が深く関与している。庄内式甕には河内型・大和型という二大系譜があるが、この両者は共通の技術系統から分化した可能性を持つ。播磨西部では、この両者の系譜を受け継いだ庄内式甕が生産されている。この時代には弥生的な地域社会を超えて、各地の交流が活性化するが、河内型の庄内式甕は近畿以外の中国・四国・九州北部など、西日本各地に一方的に広く移動し、何らかの形で流通する要因のあったことがうかがえる。その背景には弥生的な地域社会から、より広域的な政治社会へと、新たな社会の形成に向けた政治的、経済的な活動が垣間見える。庄内式土器の動態は、この時代のなかで初期倭政権が成立し、さらには古墳の誕生を見たこととも密接に関連する。
(西村歩)
以上、転載
