滴水瓦 てきすいがわら

滴水瓦
てきすいがわら

中国では逆三角形の形態の軒平瓦を指すが、渡辺誠はこれを援用して、中国・朝鮮半島と日本のこの種の軒平瓦ならびにセットをなす軒丸瓦の総称として、滴水瓦の用語を提唱した。ところが、軒丸瓦は瓦当だけではその判断が難しいこともあり、現在やはりこの種の軒平瓦を指す用語として定着している。中国・朝鮮半島の滴水瓦は、瓦当と平瓦の接合角度が、鈍角をなすのが一般的な特徴であるが、日本ではその限りではない。中国では晩唐の石刻に滴水瓦の表現が見られるが、実物としては北宋から確認できる。朝鮮半島では元の進出を契機に滴水瓦が出現する。当時の都である開城での様相は不明な点が多いが、いち早く元の影響下に入った済州島の法華寺跡では、13世紀後葉の滴水瓦が確認される。ただし、一般に朝鮮半島南部では典型的な滴水瓦の使用が他地域より遅れる傾向にあり、本格的な採用は14世紀末からである。一方、日本では山口市の大内氏菩提寺であった乗福寺跡から、14世紀後葉と考えられる滴水瓦が出土しており、これが日本最古のものとなる。また長崎県対馬の金石城、島根県富田城、熊本県麦島城でも滴水瓦が出土するが、これらは釜山の東莱倭城などに同笵瓦が確認でき、豊臣秀吉の朝鮮侵略に伴い運び込まれたものである。さらに、慶長期には日本各地で滴水瓦が国産化され、城郭の中心建物の屋根を飾ることになる。これは朝鮮半島に渡海した大名の一種のステイタスシンボルと理解されている。

(高正龍)

以上、転載

 

 

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