鉄鏡 てっきょう
鉄鏡
てっきょう
鉄製の鏡は、中国の後漢後半から魏晋南北朝時代にかけて主に北方地域で流行した。出土例は河北・河南・陝西・遼寧・江蘇・湖南・湖北・浙江・四川の各省など広域にわたっているが、洛陽を中心とした黄河流域に集中する傾向が見られる。この時期に、北方地域で鉄鏡が流行した理由に銅材の欠乏を挙げる意見がある。ほとんどが墳墓への副葬例である。平縁で円鈕をもち径10㎝以下の小型鏡や、径20㎝以上の大型鏡も見られるが、径13〜17㎝の中型鏡が多い。文様が判明するものでは、内行花文を鋳出した例(河北省定県北庄の後漢墓出土の5面)や夔鳳文を持つ例(甘粛省武威雷台の後漢鏡)があり、また、文様を金銀の象嵌によって表した例もあれば、素文の例もある。朝鮮半島では、皇南大塚北墳(慶州市)出土例(径14.7㎝)が知られ、わが国でも古墳時代以降に鉄鏡が見られるが、その数はきわめて少ない。ダンワラ古墳(大分県日田市)の金銀錯嵌珠龍文鉄鏡(21.2㎝)、伝松山古墳(奈良県高取町)の金銅紐鉄鏡や、崇福寺跡(滋賀県大津市)の鉄鏡(径7㎝)など数面に過ぎない。
(藤丸詔八郎)
以上、転載
