唐人墓 とうじんぼ
唐人墓
とうじんぼ
江戸時代に来航した華人の墓で、長崎を中心に九州各地に残っている。福建・浙江地方の亀甲墓を略した石棺墓形態をなし、墓誌石と蓋石が地上に露出する。長崎市内には風頭山麓や立山南麓・西山などに分布するが、稲佐山山麓の悟慎寺に251基がまとまって残っている。悟慎寺唐人墓地は、1620年代前半以前に形成された。唐人屋敷が成立し、唐人の市中混在が禁じられる以前の前期には、最大の唐人共同墓地として機能した。日本年号を多用した墓誌石は、長崎で製作されている。唐人屋敷成立後の後期は、三唐寺の墓域が形成され、新来帰化者が認められなくなったため、唐船船員だけの埋葬となった。また、ここには近代以降の華僑の墓も数多く見られる。他の長崎市内の唐人墓には、唐通寺の家族墓や三唐寺の渡来僧墓など大規模なもの、また朱印船貿易商墓がある。前期の唐人墓は、熊本県玉名市などにも残っている。
唐人墓の被葬者たちは常に出身地文化を意識していたが、そのため広汎なジャンク貿易網をも提示した資料となっている。それは東南アジア各地の華人墓と同一であるばかりでなく、東南アジアの初期イスラム墓や福建泉州の外国人墓、また唐人墓の形態をとるベトナム・ホイアンの日本人墓とも繋がっている。なお沖縄の亀甲墓は、渡来華人の墓の形態から直接影響を受けているが、葬制は独自の洗骨葬である。
(坂井隆)
以上、転載
