同仁文化 どうじんぶんか

同仁文化
どうじんぶんか
Tongren wenhua

中国とロシアの国境地域である黒龍江中・下流域に分布する6〜11世紀ころの文化。中国では同仁文化、ロシアでは靺鞨文化と呼ばれる。鉄製の刀・矛・甲などの武器・武具および帯金具がある一方で、依然として打製のの剝片石器・磨製石斧や骨製・石製の鏃も用いられた。鉄製品において農具や工具はまれで、武器・狩猟具の数が多いことから、この文化の性格をうかがうことができる。同仁文化の遺跡では、周囲が数百メートルになる環濠と土塁に囲まれた集落跡が見つかった。土塁内外に竪穴住居が分布し、文献に「城を築き穴居す」と記載されていることと合致する。墓には一次葬と二次葬があり、火葬が流行していたようである。同仁文化系の代表的な土器は深鉢である。編年研究の成果によると、古段階では長頸で口縁部が合せ口状になる花瓶形の土器が特徴的である。中段階ではこれがなくなるが、胴部に横走条線文を装飾するものは継続する。新段階になると、深鉢の胴部に横走する隆起線文がめぐらされたり、隆起線文の一部は垂下したりするものもある。同仁文化は、中国の南北朝時代に「勿吉」、隋唐時代に「靺鞨」と呼ばれていた民族の文化と推定されている。

(蘇哲)

以上、転載