浦添城跡 うらそえじょうあと

浦添城跡
うらそえじょうあと

沖縄県浦添市字仲間に所在し、標高130〜140mの琉球石灰岩丘陵台地に営まれた城跡。中山国の拠点が首里城に移る前の城とされる。ほぼ東西に走る石灰岩からなる丘陵地形を巧みに利用して北側が自然の断崖、南側の緩斜面に高い石垣と空堀をもって築かれていたことが近年の調査で判明した。城の創建や由来についての記録はない。この城が記録ではっきりしてくるのは、16世紀に入ってからである。尚真王の長子尚維衝が浦添城に移った時には荒廃し住居に耐えられず、その時には那覇の我那覇家の邸宅が移築されたとある。また、その後の1609年、島津侵攻の際には、城下にあった龍福寺とともに戦火にあったと記されている。1982年から3次にわたって発掘調査が実施され、石列群や掘立柱建物などとともに、貿易陶磁器や屋根瓦など多数の遺物が発掘され、13世紀から17・18世紀までの第1期から第5期にわたる変遷がわかった。

當眞嗣一)

以上、転載