倭城 わじょう

倭城
わじょう

倭城とは、壬辰倭乱と丁酉再乱(文禄・慶長の役)の際に、韓国の南海岸地域およびソウル・平壌に至る地域に日本軍が築造した城郭である。その築造背景については、日本軍による南海岸の拠点確保が主目的であったと考えられ、付随的に御座所や補給基地の役割をも果たしたものといえる。現存する倭城の大部分が韓国の南海岸に位置するが、近年の都市計画による宅地造成や道路拡張工事などのため、日ごとに破壊が進行しているというのが実情である。しかし幸いなことに、これら倭城の大部分は記念物に指定され、国家の保護を受けているので、さらなる破壊の危険性は少ないものと思われる。

南海岸の倭城は主に東側の蔚山から、西側の順天に至る中間地域に分布している。その詳細は別表の通りである。倭城の立地条件が作戦上、船泊の出入りが容易な河岸や、海岸部に突出した山または丘陵頂上部に築造されているという点については周知の事実である。その位置選定の特徴として、①朝鮮側の拠点であった場所をそのまま確保すること、②洛東江河口を拠点の中心軸とすること、③倭城築造に使用する資材を容易に調達するため邑城・鎮・営城の周囲に築造したことなどを挙げることができる。

<韓国南海岸倭城一覧>
(城名 築城者)
(時期 所在地 備考は転載から省略)

蔚山城 浅野幸長ら
西生浦城 加藤清正
林浪浦城 毛利吉成ら
機張城 黒田長政
東莱城 吉川広家ら
釜山城 毛利輝元・小早川秀秋ら
子城台城 毛利秀元
影島城 毛利輝元
金海城 鍋島直茂・勝茂
亀浦城 小早川隆景ら
新沓城 鍋島直茂・勝茂
馬沙城 鍋島直茂・勝茂?
加徳島城 毛利輝元
加徳島支城
安骨浦城 脇坂安治・加藤嘉明・九鬼嘉隆
熊川城 小西行長
明洞城 宗義智
子馬山城 松浦鎮信ら?
梁山城 黒田長政
狐浦城 黒田長政?
永登浦城 島津義弘・忠恒
松真浦城 福島正則ら
長門浦城 蜂須賀家政ら
見乃梁城 宗家?
馬山城 鍋島直茂・勝茂
固城城 吉川広家ら
泗川城 毛利吉成
南海城 水軍諸将
順天城 宇喜多秀家ら

(沈奉謹)

以上、転載