丸都山城 がんとさんじょう
丸都山城
がんとさんじょう
Wandu-shancheng Hwandosan-seong
中国・吉林省集安市に所在し、「山城子山城」とも呼ばれる三国時代高句麗中期の山城。鴨緑江に流れる通溝河の上流約3㎞に位置する。城壁は石築で、通溝河に面する谷を取り込んだ急峻な尾根線上に築かれ、長方形の形態をなす。最高所は652mである。東墻の長さ1716m、西墻2440m、南墻1786m、北墻1009m、周長6951mを測る。城壁に女墻(高さ0.8〜1.3m、幅0.7〜1.0m)が造られ、内壁に柵列用と見られる長方形の柱洞(柱穴)がある。東墻・北墻に各2ヵ所、西墻に1ヵ所、南墻に2ヵ所の門跡がある。2001〜03年にかけて、南墻とその1・2号門跡、宮殿跡・暸望台(点将台)が発掘された。宮殿跡は東辺91m、西辺96m、北辺75m、南辺70mの城墻で囲まれている。平行する五つの基壇に門跡2棟、八角形建物2棟、長方形建物、2間×2間の建物など、11棟の礎石建物からなる。「小兄」「天」「中」などの文字瓦・刻印瓦などが出土している。暸望台は石積みの建造物で階段を備える。鬼面文瓦・刻印瓦が出土している。
山城は基本的に軍事施設であり、城内には急傾斜面が多く、平坦地は緩傾斜面も含め1haほどである。発掘された宮殿跡について八角形建物・楼閣状の建物も含め、その性格を明らかにする必要があろう。城内に積石塚36基、封土墳1基の37基の墳墓が分布する。山城築造以前か以後、山城廃棄後か問題となる。丸都山城は王都の国内城を防衛する機能を持つ。王都の周囲には防御施設として七個頂子、望波嶺関馬墻、石湖に関隘を設営し、集安覇王朝山城などの山城を配備し、地域の支配拠点とした。丸都山城は、広開土王代に築造されたのであろう。
(東潮)
以上、転載
