西夏王陵 せいかおうりょう

西夏王陵
せいかおうりょう
Xixia-wangling

中国・寧夏回族自治区銀川市の西約25㎞にある賀蘭山の東麓に所在し、「昊王墳」と俗称される西夏時代の陵墓群。陵区は東西4㎞、南北10㎞にわたり、現在9基の帝陵と140基以上の陪葬墓が確認されている。1972〜77年までに、寧夏博物館は陵墓1基、陪葬墓4基、碑亭2基などの発掘調査を行い、各種の遺物とともに、西夏文字・漢字を合わせ3300点近い碑文の断片を発見した。その結果、多数の西夏文字資料が提供されるとともに、多くの知見を得ることとなった。特に1972年以降に重点的に調査、発掘された8号陵が第8代皇帝李遵頊の陵で、西夏乾定4年すなわち宝義元年(1226)に埋葬されたことが明らかにされた。墓葬は地宮の主室が長方形、南北5.6m、東西6.7〜7.8mの規模を持ち、前面には武士などを描いた甬道が設けられ、主室両側には耳室が備わっている。墓室は早くに破壊されており、構造は明瞭さを欠陸、副葬品には金銀製装飾品片・銅甲片・鉄器・陶磁片などが確認されるほか、被葬者を特定し得た漢字碑文の残片が発見されている。また、2号陵の碑亭からは漢字と西夏文字の碑文片が出土し、それから2号陵が西夏第5代皇帝李仁孝の寿陵であることが知られた。このほか二つの陵の陪葬墓が発掘され、絹織物・塗金の銅牛などが出土した。李元昊が西夏皇帝に即位した後に追尊された李継遷の裕陵、李徳名の嘉陵をはじめとして数代の陵名が明らかではある。しかし陵名不詳のものも認められる事実を重ね合わせ、陵区内の全面調査が期待されるとともに、陵区内の墓葬の比定も今後の大きな課題の一つであろう。

(高橋学而)

以上、転載