六頂山墓群 りくちょうざんぼぐん

六頂山墓群
りくちょうざんぼぐん
Liudingshan-mugun
Yukcheongsan-myogun

中国・吉林省延辺朝鮮族自治区敦化市の南郊にある渤海の古墳群。比高約40mの独立丘南斜面に派生する尾根の東西に墓群が分布する。1949年に延辺大学、59年に吉林省博物館、64年に中国と北朝鮮が調査した。尾根の西側(第1墓群・約30基)は貞恵公主墓など墳丘墓が多く、東側(第2墓群・約50基)は低墳丘墓が多い。第1墓群の石室は長方形で火葬されていないが、第2墓群の石室は矩形で火葬されている。第2墓群が第1墓群に先行して造営された可能性がある。宝暦7年(780)造営の貞恵公主墓は、第1墓群の造営時期を示唆している。貞恵公主墓誌は、公主を珍陵の西に葬ったと記している。王建群は珍陵を渤海第2代王の大武芸に比定し、渤海前期の社会構造を考える上で重要な遺跡である。

(小嶋芳孝)

以上、転載

 

有名な貞恵公主の墓誌にある「珍陵の西に葬った」の一文。珍陵が比定通り2代王・大武芸であれば、プリンセスの祖父。孫娘と近くに眠っていることになります。

プリンセスの父である3代王・大欽茂の時代は、日本との交流が最も盛んでした。

8~9世紀、日本と最も往来が多かったのは、渤海でした。唐よりも新羅よりも多く、渤海使は34回、遣渤海使は13回と記録に残っています。その痕跡が北陸地方沿岸を中心に残っていて、とても興味をひかれます。

「六頂山」の文字通り6つの頂が連なる丘陵に、その頃の王族が眠っていると思うと、はるか遠くのこの地が近しいものに感じられ、荒れる日本海を行き来した交流を想像してしまいます。