河姆渡遺跡 かぼといせき
河姆渡遺跡
かぼといせき
Hemudu-yizhi
中国・浙江省余姚県河姆渡村北東に所在し、姚江南岸の四明山と姚江北岸の平野との間に立地する新石器時代の遺跡。
(中略)遺構には高床式建物、幼児小型甕棺墓、木組の井戸などがある。出土遺物は土器・骨角器・石器・玉器と木器などで、土器には夾炭黒陶・夾砂黒陶・夾砂紅陶・泥質紅陶がある。釜が圧倒的に多く、ほかに罐・鉢・盤・器台・支脚・埦・豆があり、ヒツジ・ブタや人面などの土偶なども見られる。文様には縄蓆文・刻目文と透彫りがある。骨角器には、耜・鏃・鑿・笛・錐・針・簪などがある。特に農具としての柄を取りつけた骨耜が注目される。石器には斧・片刃斧・鑿・楔・紡錘車・耜・砥石など、玉器には管玉・抉・璜・丸玉など、木製品には矛・尖頭棒・蝶形器などがある。漆器やアシの織物もある。動植物の遺存体が多く、野生種と栽培種のイネとブタやイヌなどの家畜化が進んでいることが確認されている。長江下流域に最古の稲作農耕を行った遺跡として、稲作農耕起源の研究、日本への稲作農耕伝播の出発点あるいは中継地として注目を浴びている。
(黄建秋)
以上、抜粋転載
憧れの地、河姆渡へ。ここで7000年も前から稲作を!高床式住居跡にも黒陶にも感動、そして復元遺跡の入口は、文様が刻まれたあの有名な玉器をかたどったものでした。
ところで、上記の引用文の漢字を書くのに七転八倒したのですが、漢字の奥深さや凄みというものも、改めて実感したところです。
いくつかメモも兼ねて。
耜
シ、すき
鑿
サク、うが(つ)、のみ
蓆
セキ、むしろ
抉
ケツ、えぐ(る)、こ(じる)
璜
コウ
意味=別項目にて、こちらへ
